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■ 暗算と検算

前回の記事を書いたあと、「リテラシー」について考えるうえでおもしろそうな素材をいろいろ発見したので、メモしておきます。

前回記事のリンク先からたどれるサイトでみつけた講演録:

良識という言葉を一度辞書で調べてやろうと思って、4種類の辞書をひきました。普通ひとつの言葉には第一義、第二義とかいろいろあるのですが、良識に関してはどの辞書も第一義ひとつしか解釈がないですね。「社会人としての健全な判断力」どの辞書もこれしかないんです。これが〔ママ〕マスコミ人として座右の銘に私は置いていました。

……

良識という基準を読者、視聴者の方々が大事に持っておられたら、「この記事はどうだ」「この放送はどうだ」ということへの判断基準になると思います。煎じ詰めれば、この良識ということが、リテラシーということじゃないかと思います。

石浜典夫 (2005) 「なにわの坊ちゃん:坂の上の雲まちづくりを巡るメディア報道」 <http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/ishihama.html> (…… は引用者による省略。〔〕内は引用者による補足)

「良識」ということばに、「常に正しい結果を導くことを保証する」という意味はないでしょう? 適切な解にたどりつけないリスクはつねにつきまとうわけで。むしろ「良識」を使うことの利点は、ごちゃごちゃとかんがえなくてよいのでコストを削減できるということのほうでしょう。ですので、結論がはずれてもたいした問題にならない場合、時間などの資源がかぎられているなかで結論を出さなければならない場合などには、たしかに有効に使えます。しかし、重要な場面で、資源をふんだんに投入できる状況であれば、論理をきちんと組み立てて最適な解をみつける努力をしたほうがよいと思います。

あと、「良識」にたよっていると基礎体力が落ちるという危惧もあります。具体例に即して考えてみましょう。「平均寿命」の妙な数字がひとりあるきしているという議論の余談:

当方も一次資料を見ているわけではなく、しかしごく常識的な思考能力があればあの程度の出鱈目は見抜くことができます。これは当方の能力が高いのではなく、遊女研究全般が信じられないくらいにレベルが低いということです。

……

『源氏物語総索引』をいちいちすべて疑う必要はありませんが、しかし例えば「インターネット」なんて言葉が載っていればすぐに間違いだと判るわけです。それを疑いもせず「光源氏はインターネットで女を口説いている。この厳然たる事実を前にして」なんてことを論じている者がいれば学者として失格と云うだけではなく、人として最低限の思考能力がない莫迦です。『源氏物語』を読んでいない小学生でも判ることです。

……

ちょっと調べれば判るような出鱈目に人は簡単に騙されてしまいます。こんな低レベルの誤りを正すには、常識的な思考と常識的な手続きを踏まえればいいだけのことです。

(2003.4.18)「絶望書店主人より」『絶望書店日記』 <http://home.interlink.or.jp/~5c33q4rw/nikki/2003_4.htm#17k4> (…… は引用者による省略)

「源氏物語にインターネットが出てくるはずがない」のは、確かに源氏物語を読んでいなくてもわかる話。これこそ「良識」といってよい判断力でしょう。しかし、あえて「どうして源氏物語にインターネットが出てくるはずがないのか」と問われた場合、「小学生でも判る」としかこたえられないのはやっぱりまずい。(絶望書店主人さんがそうだといっているわけではありません)

  • 源氏物語の成立時期についての知識
  • インターネットの成立時期についての知識
  • 時間に関する物理法則についての知識
  • これらをつないで結論を導き出すための論理

を (その気になれば) きちんと分解して提示できるようになっておかないと。簡単に解ける問題だからといって、解くためのプロセスをなおざりにしていると、「常識的な思考」の力も低下してしまいそうな気がするんですよね。

で、小学生の算数のお勉強の話:

頭の中だけで計算して答えを出すのではなく、必ず式を書くようにしましょう。式は考え方の筋道を示すものですから、肝心なところを省略すると、あとで見直した時、どのような考え方でその答えに至ったのかがわからなくなってしまいます。まちがえてしまった時に考え方の筋道をたどって、どこでまちがえたのかを検証することもできません。たとえ、暗算でできるような簡単な計算であっても、面倒くさがらずにきちんと式を書く習慣をつけておくと、より複雑な問題を解くようになった時に役立ちます。

……

算数という科目では、最終的な答えはもちろん大切ですが、そこに至るまでの過程も非常に重視されます。自分がどのように考えて、その答えに至ったかという過程を、他人にもきちんと説明できるようにならなければなりません。最終的な答えに至るまでにはいろいろな考え方がありますが、それが算数の醍醐味でもあります。最終的な答えさえ合っていればよいというような考え方では、算数の本当の楽しさはわかりませんし、学力も伸びないということが言えます。

……

計算した結果に自信がない場合は、検算をしてみることで、まちがいをかなり防ぐことができます。ひき算の検算にはたし算、わり算の検算にはかけ算というように、逆の演算をしてみるのです。特に連続してくり下がりのあるひき算などは、必ず検算をしてみましょう。出た答えにひく数をたしてみて、ひかれる数になれば合っているとわかります。

また、大きな数どうしの計算の場合は、あらかじめ答えがどのくらいになるか見当をつけてから取りかかると、それと大きくかけ離れた答えが出た時に、すぐにまちがっているとわかります。例えば、685+712の場合、どちらも700に近い数なので、その和は1400に近い数になるとわかります。かけ算やわり算では、計算の途中で位をまちがえると、正解とは、けた数のまったくちがう答えが出ることがありますが、これも慣れれば、計算ミスをしているかどうか感覚的にわかるようになるものです。

(2002)「算数の文章題でミスをしないためには?」『「ピグマキッズくらぶ」 なんでも質問箱』 <http://www.sapientica.com/pigma/qa/qanda/pqa0206_40.html> (…… は引用者による省略)

前回の記事で書いたことは、つまるところ、「暗算型リテラシー」対「検算型リテラシー」なのか。検算すべきところで検算しない人が多いという問題と、検算のしかたというものがあまり知られていないという問題があるかな。

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