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■ 虚像の Positive Action

以前、 Chiki さんのところMacska さんのところ で「アファーマティブアクション」なるものについてコメントしたことがある。自分の知っているアファーマティヴ・アクション (=ポジティヴ・アクション) とぜんぜんちがうものについての知識が流通しているような気がして、ずっと違和感を感じていた。

kallikles さんの「macskaさんのアファーマティブアクションの解説」 <http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060710/p1> を読んでみて、違和感の原因の一端がわかったような気がしたので、私なりの応答を書いてみる。ご自身が「この件あんまり勉強してないのでただのメモ」とお書きなので、こういう突っ込まれかたは不本意と感じられるかもしれないな、とは思う。私の書きかたも非常に攻撃的になっているが、ひとえに、問題点を的確に指摘するkalliklesさんの真摯な文章にいたく心を動かされたためである。本稿が、kallikles さんの疑問にすこしでもこたえうるものになっているとよいのだけれども。

以下、引用はすべて http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060710/p1 からのものである。注番号はすべて省略した。その他の省略個所を …… で示す。〔〕内は引用者による補足である。引用部分の順番は、原文の順序とは一致しない。

○ 現代日本の「ポジティブ・アクション」とは

まず、「ポジティブ・アクション」ということばの使いかた自体が、現在の日本での主な用法からかけはなれたところにいってしまっている。

んじゃ今の国内の「男女共同参画」なるものでの「ポジティブアクション」はどうか。

とか

ポジティブアクションがよくない制度だとは言わんが、 国内で採用するまでに弊害を含めちゃんと議論されているのかなあ。そして いまやろうとしていることがほんとうに効果がありそうなのかなあ。

とか書いてあるわりには、「国内」で「いまやろうとしていること」の議論になってないのである。

現在の日本で (労働関係で)「ポジティブ・アクション」とよばれているものの主流の定義は、雇用機会均等法 (1997年、法113号) 第20条に規定されている措置を企業がおこなうこと、だと思う (たとえば http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/josei/hourei/20000401-14.htm 参照)。要するに

  1. 自分のところで雇っている女性労働者の状況について調べる
  2. 調べた結果に基づいて、均等待遇の支障になっている事情を改善する具体的取組計画をつくる
  3. その計画を実施する
  4. これらの一連の措置をとるために必要な体制を整備する

という内容である。

具体的にどういう取組がありうるか、厚生労働省「女性労働者の能力発揮促進のための企業の自主的取組に関するガイドライン」 <http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/josei/hourei/20000401-35.htm> から目についたものをぬきだしてみると、こんな感じである。

  • 求人広告や会社案内等の図や写真に女性を登場させ〔る〕
  • 男女の固定的役割分担意識をなくすための役員、面接・選考担当者への研修
  • 不採用理由の記録、分析
  • ロッカー設備、休憩室、トイレ等の職場環境の整備
  • 女性の管理職候補者を対象とする研修の実施
  • 昇進・昇格基準の明確化、透明化
  • 1歳以上の未就学児を養育する労働者に対する短時間勤務制度、フレックスタイム制度等
  • セクシュアルハラスメントの防止

各企業の具体的事例については、たとえば 21世紀職業財団のページ <http://www.jiwe.or.jp/jyoho/kanri/posi_index.html> をみるとよい。

雇用機会均等法の第20条は、これらの措置をおこなう企業に対して国が「相談その他の援助を行うことができる」とさだめているのだが、実施の主体はあくまでも企業である。企業にとっては、労働力を効率よく使って利潤をあげることが究極の目標である。効率を低下させるような内容の措置はそもそも実施されるはずもない。ポジティブ・アクションのめざす「均等待遇」とは、労働力を効率よくつかうという企業の目標に抵触しない範囲内で実現されるものにすぎないのだ。

企業内で女性労働力を効率よく使うためのいろいろな工夫というのは、30年以上前からおこなわれていたことである。当時は「女性活用」とよばれていた。現在「ポジティブ・アクション」とよばれているものは、(多少あたらしい要素をふくんでいるとはいえ) かつての「女性活用」とほぼおなじものと考えてよい。

kalliklesさんは

職場での〔ママ〕大学での成績競争とか、出世競争とかから(おそらく自発的に)距離を取ってしまう女性はまだ少なくないように見えるので、そこらへん優遇してどうすんだ、戦うなら 同じ土俵で戦え、と思ってる若者は少なくないだろう。

と書いているのだけれど、これはポジティブ・アクションに対する批判になっていない。そのような状況を改善して、男女がおなじ条件で戦えるような土俵をつくる、というのは、まさにポジティブ・アクションが目指しているもの (のひとつ) だからだ。ただし、そのときに設定される土俵が「出世競争」である保障は別にない。どんな土俵を設定するかは各企業の判断にゆだねられている。 (ついでにいえば、成績競争は雇用機会均等法の対象外である。というか、最高学府にきてまで成績競争に興じるような人に対して距離をとって接するのは、男女を問わずありふれた反応ではないだろうか。)

あと、kalliklesさんは、「ポジティブ・アクション」導入にあたって議論が足りなかったんじゃないか、という懸念も表明している。

たとえば、「平等」の権利の侵害とか、(もしかしたらあるかもしれない)効率の低下とか、不公平感とか、「あいつらはできないのに優遇枠だからここにいるんだ」という偏見が助長されるとか。そういうのをはっきりさせずに「ポジティブアクションで行きます」では「単なる運動・イデオロギーだ」と言われてもしょうがない。共同参画基本法が制定されるとき、どの程度議論されたんだろうか?

上でも述べたように、「ポジティブ・アクション」が導入されたのは、1997年の雇用機会均等法の改正のときだ。男女共同参画法成立の2年前の話である。その内容は、実際には以前の「女性活用」とほとんどかわらないものであり、しかも企業が主体となっておこなうものである、ということもすでに書いた。で、そのあたりの話は、「企業がやるんだから、効率に反したことはしないでしょ」っていうことで同意がとれてるのではないのだろうか。というか、この制度のミソは、個々の企業に知恵をしぼってもらって、できるかぎり合理的で効果的な均等策を考え出してもらう、という点にあるのだ、とだれかがどこかで書いていたのを読んだことがあるような気がする。すくなくとも国会で議論するようなものじゃないだろう。中央集権じゃうまくいかないというので、企業の自主性にまかせてるんだから。どうしても国会でのその種の論戦をみたいというなら、 障害者雇用促進法 の制定過程を追ったほうがいいのでは。

kalliklesさんのイメージに近いのは、むしろ、雇用機会均等法の第9条 (女性労働者に係る措置に関する特例) のほうだと思う。だけど、これは単に、第5条から第8条までの禁止規定の例外あつかいにする、と述べているだけの消極的な内容のものだ。「ポジティブアクションで行きます」というふうな積極的な宣言には読めないのではないだろうか。

あとは 男女共同参画社会基本法 に「積極的改善措置」(第2条) の規定がある。こちらはかなり積極的に、国のおこなうべき施策に「積極的改善措置」をふくむ、とはっきり書いてある (第8条)。とはいえ、これも、kalliklesさんのいう

代議士……のようなグループの代表となる地位については、競争や能力云々とは無関係に、グループの代表者、代弁者としてのポストを用意しておく価値がある。

ということを考えれば、当然おいておかなければならない規定である。

なんだか、実在のポジティブ・アクションよりもはるかに急進的で暴力的なものを勝手に想定して勝手におびえてる人が一部にいるだけじゃないのか、という気がするのだが。

○ レディネスの低さ

なんでこういうすれちがいがおこるのか、ながらく疑問に思っていたのだけれど、つぎの1文を見て、疑問が氷解した。

ある職種:-)の公募とか見ていて、注として「男女共同参画を~」と書かれているのを見ると、それに脅威を感じる男性オーバードクターなんてのはけっこういるんじゃないかと思う。

ああ、なるほど。「彼ら」は、あれが「アファーマティブアクション」だと思ってるのね。

残念ながら、その職種の公募において「男女共同参画を~」と書いてある場合、それが何を意味しているのかはさだかでない。私が聞いたことがあるだけでも3種類のぜんぜんちがう説がある。そして、多くの場合、求人側はそれを「アファーマティブアクション」とはよんでいないのではないか。よくわからないものについて、外国の事例まで持ち出して妄想をふくらませてもしかたなかろう。疑問があるなら、求人企業に「この「男女共同参画を~」ってどういう意味ですか」と問いあわせればいいだけだ。要するに、個別の企業の人事政策の問題なのだ。企業の答えが納得いかないなら、その企業に対して抗議すればよい。

もっとすさまじいのが、これ。

「そんなんじゃなくて業績だけで評価してくれ、「グループとしての男性」が女性に比べて有利な立場にいるからといって、なぜ「この俺」が社会的な差別是正のための犠牲にならなきゃならんのだ、グループとしての女性が差別されているとしても、なぜ俺じゃなくて業績の劣るあの女が就職できるのだ」っていう疑問はかなり根本的で消しにくいものだと思う。

「業績だけで評価してくれ」なんてのは、世間知らずのわがままである。そんなものを「根本的で消しにくい」とかいわれても。

だいたい、人事が業績だけで決まるはずがないのである。業績以外にいろんな資料を提出するでしょ? 実技とか面接とかもあるし。企業としては、仕事がきちんとできる人にきてほしいのである。業績は、それを測る指標のひとつにすぎない。 AさんよりもBさんのほうが業績は上だけれども、他の情報を総合するとAさんのほうが仕事ができそうだ、という結論が出ることは当然ありうる。

あなた (男性) がある企業の求人に応募したとする。で、あなたは不合格になり、あなたよりも業績の劣る「あの女」が合格したとしよう。このときあきらかなのは、「選考にあたって業績以外の要素が考慮されたにちがいない」ということだけである。それを「社会的な差別是正のための犠牲」と考えるのは、論理の飛躍である。そういう疑念を持つのは結構だが、それはあくまでも「疑念」である。あたっているかもしれないし、はずれているかもしれない。真相を知りたいなら、選考過程の詳細について情報開示を請求すればよい。回答に納得いかなければ、裁判でも何でもすればよかろう。

まあ、「業績だけで評価してくれ」などといってること自体、企業で働くレディネスを欠いている証左である。そりゃ就職できんわな、と思う。理想的には、大学の「キャリア支援教育」とかでたたきなおしておくべきものなんだろうけどね。

○ それは都合よすぎるでしょ

自由競争を好んで持ち出す人について。

少なくとも森村進先生や昔のノージックは受けいれそうにない

森村さんや Nozick さんは、そもそも非進学者から巻き上げた税金を使って大学を運営するような制度自体を容認しないと思うのだが。彼らは決して大学 (院) 生の味方ではない。

また、森村さんや Nozick さんなら、労働基準法や労働組合法や民法第4編のほとんどの廃止を主張するであろう。そうやって実現するのは、完全な自由競争にまかされた企業と個人と家族の市場である。平等の実現という点だけからみれば、きわめて魅力的な制度といえる。

そこまで徹底的に自由な競争を擁護するなら、話はわかるのだ。ところが、「バックラッシュ」勢力の人たちの主張は、どうも不徹底である。労働市場が自由な競争にまかされるべきだというのなら、どうして教育もそうであるべきだといわないのか。国が多額の補助金を大学に投入するのをいいことに、自分たちが格安の授業料で人的資本を蓄積しているという不正をなぜ問題にしないのか。自分に都合のよいところだけ「自由競争」を主張しているようにしかみえない。

○ ポジティブ・アクションの必要性

で、上記のような混乱を反映しているのだと思うが、つぎのような妙な発言が出てきてしまう。

不平等感を煽ってしまうより、 とりあえずの形式的平等と出産育児関係にかぎった優遇ぐらいで十分なんではないだろうか。 ほんとうにもっと積極的な方策をとる必要があるんだろうか。

「とりあえずの形式的平等」というのがなにをさしているのかが問題である。まさか、日本国憲法の第14条と民法の第90条があればそれでいい、との趣旨ではないだろう。平等を実現するためのもっと高次の仕組みが必要ということには同意されると思うのだが、ではその具体的な内容はどういうものなのか。

まず、「形式的平等」と「ポジティブ・アクション」は、おなじレヴェルの概念ではない。「形式的平等」は、何を目指すべきかという目標である。それに対して、「ポジティブ・アクション」は、目標に近づくための方法をあらわしている。雇用機会均等法の第20条をよむかぎり、「男女の均等な機会及び待遇の確保の支障となっている事情を改善するに当たって必要となる措置」はすべて「ポジティブ・アクション」に入る。どのようにすれば「均等な機会及び待遇」を確保できるかという目標設定自体が、各企業にまかされているのだ。したがって、形式的平等を目標とするポジティブ・アクション、というものも存在しうる。

たとえば、採用や昇進の際の人事考課の過程を客観的に記録し、当事者からの要求に対して開示するための制度をつくる、というような種類の「ポジティブ・アクション」は、「形式的平等」を実現するための重要な道具になる。実際の就職やら昇進やらの過程で本当に何が起こっているかを突き止めるのは、ものすごくむずかしい。試験の点数で機械的に振り分けるようなものとはちがって、きわめて主観的な判断がからまりあったものになるからである。上で、業績以外に何が評価されているのかを知るには情報開示を請求するしかない、と書いたけれど、実際には、そのような情報はたいていきちんと開示されないであろうし、開示されたとしても、企業の都合のよいように操作されていることが多いであろう。人事考課の過程をできるかぎり客観的に記録し、開示する制度があれば、そうした疑念は最小にとどめることができる。

こういう制度がうまく機能すれば、性による差別を高い確率で摘発できるようになる。それ以前に、人事考課にあたる側が、じゅうぶんに用心して、差別的な要素を除去するようになるだろう。こうして達成される状態は、kalliklesさんのいう「とりあえずの形式的平等」にふくまれるのだろうか?

もうひとつ。「形式的平等」とは、性別そのものが基準として使われない、というだけの意味なのだろうか。それとも、irrelevant な要素がまったく基準として使われない状態を指すのだろうか。それとも、さらに、relevant な要素がその relevance に応じて評価されることまで要求するのだろうか。

たとえば、おなじ会社に雇われておなじ仕事をしている男性Aさんと女性Bさんがいるとしよう。 Aさんは、雇用保障があり、社宅が供給され、社会保険料が会社から支払われ、退職時には退職金が支払われるという雇用条件で雇われている。逆にBさんは、雇用保障がなく、社宅にはいる権利は与えられず、社会保険料を自腹で払い、退職しても退職金は出ない、という雇用条件で雇われている。仕事上の能力は、BさんのほうがAさんよりもはるかに高い。この状況で、AさんがBさんよりも高い賃金を受け取っていると仮定しよう。ただし、この会社がAさんに高い賃金を払っている理由は、Aさんが男性だからではなく、「正社員」だからというものである。この場合、「形式的平等」が実現されているといっていいのだろうか?

このタイプの「不平等」を是正するには、賃金決定方法の根本的な見直しが必要になるだろう。そしてそれは、やはり雇用機会均等法のさだめる「ポジティブ・アクション」の範疇にある措置である。

このあたり、現実をきちんとみた議論をするべきである。机上の空論で「形式的平等」とか「実質的平等」とかいっているせいで、過度の単純化におちいっているような気がする。

○ 今後の課題

上の「出産育児関係にかぎった優遇」(介護休業は廃止か?) とか、つぎの「バックアップ係」の話については書きたいことがあるのだが、後日。

ある種の男性は配偶者をバックアップ係として二人一組で戦っているようだが、女性でそれができる(やろうとする)人はまだ多くない。

次回記事を書くまで、たぶんかなり時間がかかると思う。「二人一組で戦」う体制をとった際の「バックアップ係」の権利が民法上ないがしろにされているということが問題なのだ、ということだけ予告しておこう。興味をお持ちの読者は 鈴木眞次『離婚給付の決定基準』(弘文堂, 1992年, ISBN=4335311117) をよまれるとよい。

最後に、つぎの部分はあまりにも不可解だったので、ひとこといっておきたい。

「甲斐性なし!」とかって罵りは恐いものだ。これは単に文化や制度の問題なのかどうか。

文化や制度以外になにがあるというのだろうか。

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